〔営業部門〕藤井 春香

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大阪府八尾市の産婦人科で2人姉弟の長女として誕生しました。あと少しで保育器に入るくらい小さく産まれたそうです。
粉ミルクをよく飲み、スクスク成長しすぎて両親は抱っこする時は大変だったと思います。
そんな私の両親を少し紹介します。

父は、16歳の頃から設備工事をしていて現在は60歳後半ですが現場監督として働いています。
そんな父ですが、私が21歳の頃大腸がんになりました。お酒もたばこも好きで入院生活で改心してくれるかと思いきや...全然ダメで動けるようになると喫煙所へ行き吸っていました(笑)
手術当日、ベットに寝て手術室へ向かう父を見た時「これが最後になったらどうしよう」と不安に。
予定時刻が過ぎてもなかなか病室へ戻ってこないので看護師さんに尋ねると「麻酔が効きすぎて意識が戻るまで上がってこれないですね」と言われ
戻ってくるまでの時間の一分、一秒がすごく長く感じカチカチとなる時計の音が怖く感じました。
胸のあたりがソワソワして、一瞬異変を感じ「帰ってきた!」と一緒に待っていた母と祖母にそう言い、手術室へ向かうエレベーター前に私は走り手術を終えベットの中にいる父を見て安心しました。
今では、少し体調が悪いなと感じると病院へ行き血圧測定も毎日欠かさず測る父ですが毎晩のお酒とたばこは辞めていません(笑)

母は、故郷が福岡県で高校卒業し祖父母と一緒に大阪へでてきました。
色々な職をしていて父と出会い結婚し専業主婦として過ごす63歳の母です。
母も私が26歳の頃に右被殻脳内出血で生死を彷徨っていました。当時、別々に住んでいたのですが虫の知らせというのでしょうか?
日頃、連絡は用事がある時に取る程度で返事が来ないことなどは日常茶飯事で気にもしてませんでした。
いつも通り仕事から帰ってご飯の支度をしていたのですが、ソワソワして落ち着かなかったので電話を数回かけるも応答しないことで不安になりご飯の支度を止め実家へと向かい、入るなり目の前でひっくり返る母を見て驚き、自分がその後どう対応していたのかあまり覚えていないくらい必死でした。
集中治療室から一般病棟へ移りその後リハビリ病院へ転院し現在は退院して数年経ちますが左の上肢と下肢に麻痺が残り以前の様に動き回ることはできませんが、片手で洗濯物を干したり掃除機をかけるなど器用に家事をこなす母です。

父と母が50代・私が20代でこんな体験をするなど予想もしていませんでした。
というお騒がせな両親をもつ私の紹介をしていきたいと思います。

生まれも育ちも大阪で、きっとこの先も大阪から離れることはないと思うくらい大阪が好きです。
小学生の頃は女の子と一緒におままごとをすることも好きでしたが、どちらかというとアクティブな方で男女何人かでおいかけっこやかくれんぼなど、よく怪我をして帰ってくるタイプでした。
勉強は大の苦手でしたが習い事をしたこともあります。父は女の子らしくなってほしいとの願いを込め、
エレクトーン・英会話・書道など...親の期待に応えれず三日坊主で終わりました。
唯一、小学2年生から高校2年生まで続いたものがあります。人生で始めて父に何日も土下座をして「絶対なにがあっても自分から休みたい!辞めたい!なんて言いません」と仕事から帰ってきた父に言っていたそうです。
見た目からは想像つかないと周りから言われるのですが、唯一続いたものは算盤教室です。
その教室でも問題児な方で、先生は夫婦で教室をしていたのですがよく怒られていました。最終取得した級は1級。学校とバイトという二足の草鞋をしていたので両親もまさかここまでいくとは思っていなかったらしく「よく頑張った。あとの高校生活を楽しみなさい」とのことで私の長かった習い事は終わりました。

話は戻り、中学生の時もやはり勉強は嫌いで部活をするも幽霊部員からの帰宅部でした。
毎日勉強はしないのですが試験前はというと...これもやはり勉強せず【やったれ精神】で挑んでいました。思春期ということもあり反抗期でもあったので先生への態度も悪く「勉強しやんのに成績は平均とってても、生活態度が悪すぎる」と毎年の担任に怒られていました。
高校受験は、公立の普通科へ進学しようとしていましたがその頃総合学科という科ができ【かわいい制服のとこがいい】という不純な理由で受験を決めました...が...悲劇が起きます。
学生時代の不運は2度経験しています。ここで、人生1度目の不運を...小学3年生の頃だったでしょうか?
奈良公園へ遠足がありすごく楽しみにしていて遠足当日の朝起きたら全身痒くて原因は麻疹でした。
楽しみにしていた遠足へ行けない悲しさで大泣きしていたのを覚えています。
朝から晩まで熱が出ている中ご飯も食べず泣き通しの私をみかねた父はお休みの日に奈良公園へ連れて行ってくれました。
さて、2度目の悲劇です。私の高校受験数日前に母は6歳下の弟を連れある行動をしていました。1度目の時もそうなのですが、昔から男の子は小さい頃に麻疹・おたふく風邪・水疱瘡になっておくといいといいますよね?
お気づきになりましたか?そうなんです。なぜか私の大切なタイミングの時に絶妙に近所の誰かがかかっていると聞けば弟を連れて移してもらうという荒行を繰り返していました(笑)2度目も見事にビンゴ!ぴったんこカンカンです!高校受験数日目に【水疱瘡】が移りました。
人生の左右にもなる大切な高校受験。担任の先生も受験先の学校へ連絡してくれなんとか受験を受けることができましたが予習勉強もできず、総合学科は面接があり練習もできず...、見事に落ちました。結果、普通科へ行き嫌々な始まりでした。インパクトのある高校でしたが無事卒業し大人になっても友達とは変わらず過ごせているので良い高校生活でした。

私はこの会社に勤めるまでは、介護職やアパレルなど転々としていて「このまま気ままに過ごそう」などと思っていました。社長とは、共通の知人を通じて知り合い「パソコンができるならおいで」と声をかけてもらい、事務員として入社しました。気づけば社長と一緒に現場へ行き外仕事を廻ることが増えていました。色んな場所へ行き・たくさんのお客様に出会い・色んなことを吸収させて頂き、リフォーム工事を主にお客様の要望を聞いて一緒に新しいカタチへ変えていました。そんな中で東北大震災やコロナという出来事もあり、特にウイルスに対する恐怖・不安も初めて肌で体感しふと思ったことが【自分の会社でできることはないかな?】と。仕事とは別にエステの仕事もしていて、肌の悩みや喘息持ち、子供さんがアトピーで肌が弱いなどもよく耳にしていて、
・アトピーが気になる
・喘息がでる
・空気清浄機で性能がいいのを探している
などたくさん話を伺う中で【根本の家そのものをこだわる】が私の中で辿り着きました。

体に異変を感じたら病院へ行き薬を処方してもらう・家の空気をよくしたいなら清浄機を新しくする
こちらは確かに間違いではないです。けれど、正しいとも言えません。
使う材料によっては身体の異変を防ぐことが可能なこともあると。
自然素材を使った新築住宅を自社で創るという目標ができ社長と話をし会社を立ち上げました。

Haleleaの意味は「幸せの家」たくさんの幸せをカタチにできたらなという想いがこもっています。
それぞれのロゴにもこだわりがあり、まずは会社のロゴのご紹介を。Haleleaロゴ.jpeg
屋根の部分は3色に分かれていて無垢材の種類をイメージし、ドアも窓もつくっていないのは「デザインを決めれる」ことを表現。右側の2本の木はマイレと言い意味は「絆」で、葉の色がたくさんあるのはお客様を表現しています。
小さいのはお子様、大きいのは両親を示しています。

るあなロゴ.jpeg自社ブランドのLUANAも想いを込め、意味は「楽しむ・くつろぐ・ゆっくり」という意味があります。
右の木は、ロゴにもあるマイレです。たくさんの知人・お子様のお友達などたくさんの方に愛される家になるようにとの想いを丸で表現しました。色も白っぽくしているのは住む方によって色が変わることを表しています。他にも想いがたくさん詰まっているので気になる方はご質問してください!
家づくりにはたくさんの時間・資金がかかりますが、
その大切な時間をご一緒にできたらなと思います。

〔工事部門〕 金沢 敦

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大阪府藤井寺市出身、3兄弟の長男として誕生しました。
小さい頃は、大和川の近所だったこともあり友達と川遊びをしたりと外で遊ぶことが好きな少年時代でした。

弊社に入社したのは2023年に入ってすぐなので、新人ですが建築業界は長いという私の簡単な経歴ですがご紹介したいと思います。
20才の時から建築業界での経験は30年以上になります。
外装関係の仕事を主に防水関係の仕事に従事し、その他いろいろな仕事を経験してきましたが内装関係の仕事をしたことがなく、興味はあったのですが中々関わりがありませんでした。
ずっと外装関係の仕事しか経験がなかった私が今回はなぜ内装業という仕事にチャレンジしてみよう!と感じたきっかけが、以前から知り合いでした社長と再会した事です。
以前から興味はあったものの内装業は全くの無知に近いのできっかけがないままでしたが、社長から話をしていて「チャレンジしてみよう」「やっぱりこの仕事もしたい!」と思い社長にお願いして入社をいたしました。
社長は内装業・私は外装業と得意分野が違うところが会社の強みになればいいなと思っています。

家に関する事は、室内も大切ですが外装も大切なことだと思うので外装に関する事でのお悩みなども気軽にお話ししてください。
世界に1つしかない自分だけの家づくりに納得していただき、笑顔溢れる場所になれるよう工事部も一丸となり頑張ります。

私自身この業界をもっと知る為、勉強をし自分のスキルをあげてお客様に喜ばれる家づくりをご提供していけるよう頑張っていきたいと思います。


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